Vernon Lee (Violet Paget)

主要作品解説

ここでは、ヴァーノン・リーの主要作品を解説します。

  • Euphorion: Being Studies of the Antique and the Medieval in the Renaissance
    •  1884年発表。初期の代表的著作。美術エッセイ集。タイトルの「ユーフォリオン(ドイツ語読みでオイフォリオン)」とはゲーテの『ファウスト』に登場するファウスト博士とヘレナの間に生まれた子供のこと。ファウスト(中世)とヘレナ(古代ギリシア)との間の子ども、すなわちルネサンスの象徴。ウォルター・ペイターの『ルネサンス』の影響が強いが、タッソーの詩やベラスケスギルランダイオの絵、ジェイムズ朝の悲劇を扱うなど、焦点となる芸術家に違いがある。

      ギルランダイヨ『洗礼者ヨハネの誕生』

       Volume1は’Introduction','The Sacrifice','The Italy of the Elizabethan Dramatist','The Out-Door Poetry','Symmetria Prisca'からなる。'Sacrifice'ではイタリア・ルネサンスと不道徳(immorality)の関係について。evilやchaosを芸術の進歩のために必要であるとする。'The Italy of Elizabethan Dramatists'では、ターナー、ウェブスター、フォードらエリザベス朝期の悲劇作家を取り上げ、なかでもジョン・フォードをイタリア・ルネサンスを理解していた作家と評価している。'The Out-Door Poetry'では、ギリシア・ローマの詩と、中世のいわゆるcourtly loveの詩との比較。'Symmetria Prisca'は、ギリシア芸術の影響を受けたイタリア・ルネサンス(ジョットーなどを論じている)とその影響を受けなかったドイツ・ルネサンスを論じ、ルネサンスに対するギリシア芸術の優位性を説いている。
       Volume2は'The Portrait Art','The School of Boiardo','Medieval Love','Epilogue'からなる。'The Portrait Art'はギリシア彫刻とルネサンス彫刻の比較。ヴィンケルマンの影響が強い章で、彫刻における色彩に否定的である。ルネサンスの肖像彫刻はリアリティを求めたのがその特徴で、ギリシアでは表現されることのなかった死を表現し始めた。そして、現代(19世紀)の彫刻はルネサンスの延長にあるとしている。'The School of Boiardo'はキリスト教と異教の神話(例えばケルト神話、アーサー王伝説)の融合、そして、アリオスト(『狂えるオルランド』)やボイアルド(『恋するオルランド』)、タッソー(『開放されたエルサレム』)、スペンサー(『妖精女王』)の詩を論ずる。'Medieval Love'では、ダンテのベアトリーチェへの愛(ベアトリーチェは肉体や血をもたない存在で、その本質はwhite fire of Dante's loveである、とする)にまず言及し、ある種のプラトニックな要素も含まれるとしている。そして、中世の城で繰り広げられる恋愛について、"the woman soon ceases to be the exclusive property of her husband, and the husband speedily discovers that the majority, hence public ridicule, are against any attempt at monopolizing her. Thus adultery becomes, as we have seen, accepted as an institution under the name of service; and, like all other social institutions, develops a morality of its own―a morality within immorality, of faithfulness within infidelity."と述べている。
       なお、1884年のBlackwood宛ての書簡のなかで、"Euphorion was not sold in sheets. 250 copies were bought by Roberts; but at what price I cannot tell. There have been flourishing reviews of some other books of mine in New York & Boston papers of late, which may, I hope, create a demand for Miss Brown."と書いている。(Selected Letters of Vernon Lee, Volume 1, P.604.)

  • Baldwin:Being Dialogues on Views and Aspirations
    • Baldwin

       1886年発表。Baldwin(ヴァーノン・リーのマウスピース。ただし、リー自身は'Introduction'において、Baldwinは私ではない、と述べている)とMichaelの対話形式をとったエッセイ集。'Of Baldwin, Introductory','The Responsibilities of Unbelief','The Consolations of Belief','Of Honor and Evolution','Of Novels','The Value of the Ideal','Of Doubts and Pessimism'からなる。
       序文(Introduction)では教育とジェンダーについて次のように述べている。"The accident of education, carried on exclusively at home and in exceptional solitude, has placed this not very feminine man to some measure at a woman's standpoint, devoid of all discipline and tradition, full of irregularities and individualities. And the accident of family circumstances, carrying him from country to country, has made this very English Briton see questions of all sorts through variously tinted cosmopolitan glasses." ヴァーノン・リー自身の教育環境が、従来のジェンダー観に縛られない人格とコスモポリタンとしての視点をもたらしたとしている。また、"all moral qualities were contained in the Beautiful"とも述べ、唯美主義者的なところも見せている。
       'The Responsibilities of Unbelief'では、人生において興味をもつに値するものは美しいものだけだと若い頃は思っていたのが、少しずつ考えが変わってきたとBaldwinは述べる。そして、"I began to perceive the frightful dissonances in the world, the horrible false notes, the abominable harmonies of good and evil; and to meet all this I had only this kind of negative materialism, which could not suffice to give me peace of mind, but which entirely precluded my accepting any kind of theory of spiritual compensation and ultimate justice; I grew uneasy, and then unhappy"と述べており、ヴァーノン・リーの精神史を考える際興味深い。さらに、道徳の必要性について、次のように述べている。”Morality, I now feel persuaded, is the exclusive and essential qualification of the movements of an assemblage of men."
       ’The Consolations of Belief'では、Baldwinは'I am not a Christian; I do not care what may be taught or may not be taught. I believe in God, and in the goodness of God's will―that is all."と明言している。さらに、"No, I am not an atheist: to be an atheist, a real atheist, means simply to disbelieve in the existence of a God."と述べ、無神論者ではない、としている。
        'On Novels'では、小説における美を論じているが、"The novel has less value in art, but more importance in life."と述べている。小説はより人生に密接に結び付いた芸術であるがゆえに、社会悪を描き出すフランス小説(ゾラなど)を批判している。そして、小説のあるべき姿について、次のように述べている。"the novel itself must represent a compromise between the knowledge of how things are, and the desire for how things ought to be; the novel must represent what there is of good in the scientific spirit of France, and what there is of good in the moral spirit of England."
       'Of Honor and Evolution'では、生体解剖という、当時論争の的となっていた問題をとりあげ、科学の進歩と道徳の問題を論じている。
       'The Value of the Ideal'では、理想主義について、"For me (Baldwin) the ideal means simply the sufficiently beautiful, the something that satisfies, the great desideratum; and the desire for this perfect satisfaction, the quest of this supreme desideratum, is what I call idealism."と語っている。そして、芸術は魂の飢餓の結果生み出されるとしている。芸術は現実との調和によって測られるのではなく、鑑賞者の内部の感情との調和によって測られるべきである。
       最後の'Of Doubts and Pessimism'では"Society requires to have recalled to it, if anything, that the distinction between good and evil has its origin, not in the conscience of the individual, but in the interests of the community"と述べ、ボードレールスウィンバーンの罪や善悪についての考え方を否定する。そして、"All this pessimism is due to selfishness."としている。また、"Nothing can be more false or more pernicious than to bestow the glory of holiness upon suffering. Holiness means moral value; and suffering, as such, has no moral value whatsoever"と述べているが、リーの生体解剖反対論を考える上で興味深い。
       続編にAlthea Dialoguesがある。

  • 'A Wicked Voice'「悪魔の歌声」
    • Voix Maudite

       短編集Hauntingsの一編。ヴァーノン・リーの代表作の一つで、彼女の作品中でも高く評価されている。最初、Voix Mauditeというタイトルでフランス語で発表された。
       主人公はワーグナー風のオペラを書く作曲家マグナス。舞台は1880年代のベネツィア。マグナスはベネツィアで18世紀のカストラート歌手、ザッフィリーノの噂を耳にする。ザッフィリーノは人に至上の喜びを与えるのと同時に、人の命を奪う事も出来る「悪魔の歌声」の持ち主であった。マグナスはザッフィリーノの亡霊に遭遇し、その歌声を耳にし、作曲能力を失ってしまう。ザッフィリーノは実在のカストラート、ファリネッリをモデルにしていると考えられている。
       Catherine Maxwellは兄ユージーンの詩'The Mandolin'が「悪魔の歌声」に影響を与えたとしている。
       
       Eugene Lee-Hamilton, 'The Mandolin'

        But he, the cause of all,
       I know not how, has risen from the dead,
       And takes my life by stealing sleep away.
        No sooner do I fall
       Asleep each night, than, creeping light of tread
       Beneath my window, he begins to play.
        How well I know his touch! It takes my life
        Less quickly but more surely than the knife.

        Now 'tis a rapid burst
       Of high and brilliant melody, which ceases
       As soon as it has waked me with a leap.
        And now a sound, at first
       As faint as a gnat's humming, which increases
       And creeps between the folded thoughts of sleep,
        Tickling the brain, and keeping in suspense
        Through night's long hours the o'er-excited sense.
        (Vernon Lee,: Decadence, Ethics, Aesthetics, 34ページより)
       
       なお、短編集For Mauriceに収められた短編'A Winthrop's Adventure'は'A Wicked Voice'の元型と考えられる、やはり音楽家が登場する話。
       Carlo Caballeroの'”A Wicked Voice”: On Vernon Lee, Wagner and the Effects of Music’ は「悪魔の歌声」についての優れた論文である。(Victorian Studies 35: 4 (1992): 385-408.)

  • 'A Wedding Chest'「婚礼の櫃」
    • wedding chest

       1905年発表のPope Jacynth収録の短編。ヴァンパイアものの一種。ヴァーノン・リーの作品中、最も陰惨な物語で、ウェブスターらジェイムズ朝期の悲劇に近いテイストがある。
       タイトルの「ウェディング・チェスト」とは、14世紀から16世紀にかけてイタリアで流行した結婚の贈答品で、花嫁の私物を入れるのに用いられた。主人公の職人デシデリオにはマダレーナという婚約者がいた。一方、彼は町の有力者トロイロにウェディング・チェストの製作を依頼される。しかし、結婚式の前日、マダレーナが何者かに誘拐される。一年後、デシデリオのもとに自らが制作したウェディング・チェストが送り届けられる。その中には血を抜かれたマダレーナと嬰児の遺体が入っていた。デシデリオはトロイへの復讐を誓う。数年後、トロイロ殺害に成功したデシデリオはその血を飲み、マダレーナの遺体と残りの人生を過ごす。
       ヴァンパイアもののかたちを借りながら、恋愛のトライアングルを描いた作品。一人の女性を二人の男性がとりあう話ではあるが、トロイロが同性愛的性質を帯びていることから、同性愛の物語とも解釈できる。吸血行為は同性愛の隠喩であるとも考えられる。また、一種のネクロフィリア(死体愛好)の物語ともいえ、妻エリザベス・シダルの遺体と一緒に埋葬した自作の詩を取り出すために、シダルの墓を暴いたとされるD・G・ロセッティのエピソードも影響しているかもしれない。
       この短編はヴァーノン・リーの友人Marie Spartali Stillmanに捧げられている。Stillmanはフォード・マドックス・ブラウンのもとで修業した画家で、ダンテ・ロセッティのモデルをつとめるほどの美貌の持ち主でもあった。リーとは1878年にフィレンツェで会った。

  • 'Amour Dure'「永遠の愛」
    • Amour Dure

       短編集Hauntingsに収録された幻想短編。代表作の一つ。邦訳は二つあり、それぞれ「永遠の愛」、「まぼろしの恋人」のタイトルが付されている。原題の'amour'は愛のこと。'dure'には「厳しい」という形容詞の意味と、「続く」という動詞の意味の2つの意味が込められているらしい。
       当初Medea da Carpiというタイトルの長編であったが、「フィクションに歴史的事実を当てはめている」との理由で雑誌に掲載を断られ、短編化。1887年にMurray's Magazineに掲載される。

      ルクレティア・パンチャーティキの肖像

       なお、16世紀のイタリア人画家アーニョロ・ブロンズィーノに『ルクレティア・パンチャーティキの肖像』という肖像画がある。その首飾りには"Amour Dure Sans Fin"(終りのない愛)と刻まれているが、これがヴァーノン・リーにこの短編を書くうえでのインスピレーションを与えたと考えられている。
       主人公の歴史家シュピリディオンが歴史上の悪女メデア・ダ・カルピのことを調べているうちに彼女に恋心さえ抱き始め、歴史上不当に貶められた(と彼が考える)メデアの復権のために、歴史を記述しようと考えるようになる。しかし、クリスマスの夜、メデアの亡霊に教会に呼び出されたシュピリディオンは、そこで彼女の亡霊と遭遇し、歴史の記述が不能になる、という物語。

  • 'Oke of Okehurst or a Phantom Lover'「幻影の恋人」
    • A Phantom Lover

       1886年にA Phantom Lover: A Fantastic Storyというタイトルで出版され、1890年発表の短編集Hauntingsに収録された幻想短編。リーの幻想短編としては唯一イギリスを舞台にしている。リーはイギリス訪問の際、Alfred Austin夫妻が暮らしていたGoddington estateを訪れた。Goddingtonは17世紀風のマナーハウスで、ピーター・ガンは、このGoddingtonが「幻影の恋人」のオーク邸のモデルであるとしている。
       語り手の画家はオーク夫妻の肖像画製作のため、オーク邸を訪れる。夫ウィリアムは典型的なイギリス紳士。妻アリスは謎めいた女性で、約200年前に死んだ同名の先祖アリスに憧憬の念を抱いていた。オーク邸(特に黄色い部屋」と呼ばれる部屋)には先祖のアリスが殺害した彼女の恋人ラブロックの亡霊が出るという噂がある。ウィリアムはラブロックの亡霊に怯え、妻とラブロックとの不貞を疑った末、妻アリスを射殺する。
       ゴースト・ストーリーの一種ではあるが、ラブロックの亡霊が登場することはない。すべてオーク夫妻の妄想とも取れる。客観的存在としての幽霊が登場しているのか否か曖昧で、トドロフの定義するところの「幻想文学」に該当する。先祖のアリスに憧れ、同一化しようとする現在のアリスの姿に、ヴァーノン・リーのレズビアン的傾向を読み取る研究がなされている。また、語り手の肖像画のモデルを、ヴァーノン・リーの幼馴染であった画家サージェントとする指摘もある。
       ヴァ―ノン・リーの時間論、「ゲニウス・ロキ」について考察する際、重要な作品といえる。
       Dennis Denisoffはこの短編を当時の経済と絡めて読んでいる。すなわち、当時の発達する資本主義経済、大量生産・大量消費時代の到来と、芸術を通しての時間の超克の物語という解釈である。前者はmasculinityの象徴で、ウィリアム・オークが体現、後者はfemininityの象徴で、アリス・オークが体現している、と読む。(Dennis Denisoff, ’Vernon Lee: Decadent Contamination and the Productivist ethos' in Catherine Maxwell ed. Vernon Lee: Decadence, Ethics, Aesthetics.)

  • 'Dionea'「ディオネア」
    • Dionea

       Hauntings収録。19世紀イタリアに蘇ったヴィーナスの話。ファム・ファタールの物語であり、"gods in exile"の物語でもある。芸術家(彫刻家)の失敗の物語、という読みも可能な作品。
       1880年代のイタリアの海沿いの村の浜に美しい女の子が打ち上げられる。ディオネア(ヴィーナスの母とも言われるディオネ―を想起させる名前)という名の少女は女子修道院に預けられるが、様々な「恋の病」を村に広める。しかし、それは不幸な恋で、多くの恋人たちが破滅する。一方、彫刻家ヴァルドマールは妻のガートルードの勧めでディアニアの彫像の製作を始める。しかし、ディオネアの美を越えることのできないヴァルドマールはガートルードをディオネアの美の生贄とし、自身も死を迎える。
       村の医者の書簡によって語られる書簡体小説である。

  • 'Prince Alberic and Snake Lady' 「アルベリック王子と蛇女」
    •  短編集Pope Jacynth(1904)に収録された幻想短編。はじめ雑誌The Yellow Bookに発表された。そのことから、ワイルド作品との類似を指摘する研究者もいる。(『サロメ』における、サロメが圧殺されるラストシーンとの類似など)また、蛇が登場する話として、E・T・A・ホフマンの『黄金の壺』との類似を指摘する研究者もいる。
       タペストリーに描かれた蛇女に恋する王子の物語。リーは1870年に'Capo Serpente'というタイトルの短い物語を出版社に送り、不採用になっているが、それをもとにした作品。ヴァーノン・リーの母親との関係や、レズビアン的傾向を読み取る研究がなされている。なお、Burdett GardnerのLesbian lmagination: A Psychological and Critical Study of ‘Vernon Lee’. ('New York: Garland, 1987)では、この短編の詳しい考察がなされている。
       また、Sondeep KandolaのVernon Leeに収録された'Vernon Lee and 'High Art''は、オスカー・ワイルドとこの短編の関係を探った論文。そこでKandolaは"to her (Vernon Lee) the Wildean aesthete's love of art and artifice over Nature represents a juvenile state of mind"と書いている。(P.35.)

  • 'Sister Benvenuta and the Christ Child'「シスター・ベンベヌータと幼児キリスト」
    • bambino

       1906年発表の幻想短編。ヒロインのシスター・ベンベヌータの日記体小説。序文で、シスター・ベンベヌータが子どもを守る聖人であることが語られる。修道院で暮らすヒロインは少し頭が弱いと言われているが、聖具室にある幼児キリストの像(バンビーノ)に恋をし、日記の中でその像に語りかける。やがて、修道院で悪魔が登場する操り人形劇が演じられる。それはユディトがホロフェルネスの首を切断する物語の劇であった。
       やがて、ヒロインの前に悪魔メフィストフェレスの人形が現れ、彼女に語りかけてくる。ヒロインは悪魔と契約をする。その契約の内容は明示されず、ラストシーンは、ヒロインのいとこのシスターが目撃したことを語るという形をとっている。ヒロイン、シスター・ベンベヌータは光溢れる自室の中で、Child Christの人形を抱きしめ、絶命していたが、その顔は至福の表情を浮かべていた。部屋の中には悪魔の人形が転がっていた。
       ヴァーノン・リーの同性愛的傾向、母への思慕の念、人形愛、操り人形への関心などを考える際、ひじょうに重要な短編。
       なお、エッセイ集Juveniliaには'Christkindchen'というエッセイが収録されている。その中で、リーは次のように書いている。"I have a sneaking belief in it still, that Baby Christ, Christkindchen as I was taught to call it by my German nurses, who brings presents to good little children."(P.179.) 幼いころ、リーはクリスマスには、家の中でChristkindchenを探し、代わりにDeathが出てくるといった経験をしている。子ども時代からリーはBaby ChristとDeathが登場する幻想を育んでおり、それがこの短編執筆の根底にあると思われる。
       Patricia Pulhamは、この作品の解釈にあたり、同年に発表されたフロイトによるドラの症例の研究と、Eva KurylukのVeronica and Her Clothを援用している。(Patricia Pulham, Art and the Transitional Object in Vernon Lee's Supernatural Tales, PP.88~92.)

  • 'Pope Jacynth'「教皇ヒュアキントス」
    •  1905年発表の短編集Pope Jacynth and Other Fantastic Talesのタイトル作。Jacynthはヒアシンスのことで、ギリシア神話に由来する。美少年ヒュアキントスはアポロに愛されるものの、アポロの投げた円盤が頭にあたり死んでしまう。彼の流した血からヒアシンスが咲いたという。
       キリスト教の神と悪魔がヒュアキントスが誘惑に負けるか否か賭けをするというお話で、旧約聖書の『ヨブ記』をヒントにしていると想像される。ただし、ヨブが次々に苦しみを与えられるのに対し、ヒュアキントスは喜びを与えられる。すなわち、『ヨブ記』のパロディと言える作品である。最後にヒュアキントスの魂はダイヤモンドに変わる。なお、管理人による翻訳はこちら

  • 'St. Eudaemon and his Orange Tree'「聖エウダイモンとオレンジの樹」
    •  短編集Pope Jacynth(1904)に収められた幻想短編。
       地中から掘り出されたヴィーナス像に婚約指輪をはめると、その指が曲がり、指輪を外すことができなくなる。エウダイモンが諭すと、ヴィーナス像の指は開き、指輪をはずすことに成功する。そして、ヴィーナス像はオレンジの樹に変身する。キリスト教の聖人伝説、「ヴィーナスの指輪」伝説、そして、ギリシア神話以来の変身譚を融合した作品。一種のピグマリオンものとも言える。
       ヴィーナス像の指に指輪をはめると指が曲がり指輪が抜けなくなる。この「ヴィーナスの指輪」と呼ばれる伝説に取材した文学作品としてはフランスのプロスペル・メリメの「イールのヴィーナス」(La Venus d'Ille, 1837)が有名で、ヴァーノン・リーも参考にしたと思われる。また、このメリメの短編をフランス語の勉強のために英訳したことのあるヘンリー・ジェイムズも'The Last of the Valerii'(1874)を書いている。
       なお、旅行記The Tower of the Mirrorsにおいて、Oranienbaumという名前の庭園についてリーは次のように書いている。"Oranienbaum, "Orange-tree,"is a dear little palace, not belying the sweet and scented primness of its name, although that is derived from a princess of Nassau-Orange, who intermarried with these princes of Dessau."

  • 'The Doll'「人形」
    •  For Maurice収録の短編。ヴァーノン・リーの作品としては最も短いもののひとつ。1896年に'The Image'というタイトルでCornhill Magazineという雑誌に掲載されたのが初出。リー作品お馴染みのピグマリオン・テーマの作品。死後、夫によって人形が作られる妻の物語。語り手の女性は妻の生前の物語を知り、その人形を目にすることで彼女に共感し、その人形を焼き払うことで、彼女を夫の呪縛から解放する。その人形はイタリア新古典主義派の巨匠、アントニオ・カノーヴァの彫刻に例えられる。
       ヴァーノン・リーの結婚観などが窺える短編。なお、Susan NavaretteがThe Shape of Fear: Horror and the Fin de Siècle Culture of Decadenceの中で、この短編を詳しく論じている。

  • 'The Virgin of the Seven Daggers'「七懐剣の聖母」
    •  1896年、フランスの日刊紙Journal des debats politiques et litterairesに2月8日から14日にわたって"La Madone aux Sept Glaives"(フランス語)というタイトルで掲載された。1909年、The English Review誌1月号と2月号に英語版が発表される。そして、1927年の短編集For Mauriceに収録された。
       聖母のイメージが登場する点はヴァーノン・リーらしいと言えるが、スペインが舞台という点は珍しい。スペイン・グラナダを舞台にした放蕩児ドン・ファンの物語。ヴァーノン・リーはスペインがあまり好きではなく、彼女のスペイン観を知る上でも参考になる作品。For Mauriceの序文でリーは"I dare say I may have cultivated animosity against that great Spanish art of the Catholic revival, have lacked appreciation of its technical innovations and psychological depth." と述べている。
       エッセイ集Juvenilia収録の'Don Juan'では、リーが子供のころから聞かされていた'minor Don Juan'、グラナダのDon Fransisco Velasco'について語っている。このVelascoが、「七懐剣の聖母」創作に影響を与えたであろうことは想像に難くない。
       なお、このエッセイにおいて、ドン・ファンについて次のように語っている。"Don Juan~is merely the ideal representative of those things which the world still admires, but religion already condemns. He symbolizes the melancholy truth that when authorised morality has already long determined that some deeds ought not to be committed, the world still allows them, nay applauds if they are committed gallantly, with aristocratic bravery, art, and indolence."
       快楽を味わい尽くしたドン・ファンは黒魔術的儀式によってムーア人の王女の霊を呼び出し、恋人にしようとする。しかし、王女に七懐剣の聖母とどちらが美しいかと問われ、七懐剣の聖母と答えると、王女の霊のよって首を切断され、殺される。
       この作品を翻訳している中野義夫氏は、ボードレールの詩「あるマドンナにーイスパニア趣味の奉納品」が影響を与えていると指摘している。また、Sondeep Kandolaは、この短編がジョン・ファウルズ(John Fowles)のThe French Lieutenant's Woman(『フランス軍中尉の娘』)の先駆になっていると指摘している。(Sondeep Kandola, Vernon Lee, P.60.)

  • 'Marsyas in Flanders'「フランドルのマルシュアス」
    •  短編集For Maurice収録。
       海から流れ着いた磔刑像をキリストのそれと考え、教会に設置するも、何度も動いて壁から落ちてしまう。その磔刑像は実はキリストではなく、ギリシア神話のマルシュアスのそれであった、という物語。マルシュアスはサチュロスで、笛の名手。アポロンと楽器の腕比べをしたエピソードは有名。楽器を逆さまにして演奏するようアポロに命じられ、笛のマルシュアスはそれができず(アポロンは琴なのでそれが可能)、アポロンにやぶれ、皮をはがされた。
       ヴァーノン・リー作品お馴染みの'gods in exile'の物語の一つで、実際ハイネの『流刑の神々』からヒントを得ているらしい。また、マルシュアス像の胸に杭を打ち込むシーンがあることからヴァンパイア・ストーリーの一種とも考えられている。
       序文では、ルッカの聖顔伝説からヒントを得たと、リーは述べている。これはサン・マルティーノ大聖堂にある、磔刑像のことである。

  • 'The Lady and Death'
    •  1905年発表の短編集Pope Jacynth収録。'A Companion-Piece to Dürer's Print'というサブタイトルがつけられている。デューラーの描く死神の版画の影響が想像される。ファウスト伝説、そしてオルフェウス伝説に取材した短編。エウリピデス初期の悲劇『アルケスティス』も元ネタの一つ。
       16世紀ドイツの村で起こった出来事を伝えるバラッドについて、19世紀の人間が語るという物語の大枠がある。バラッドの内容は、医師Berchthold Weberと妻のAgnesの物語。Berchtholdは村に疫病が流行した際、悪魔と契約し、自らの命と引き換えに村人たちの命を救う。しかし、彼の行為は村人に理解されず、村人たちはBerchtholdを避けるようになる。悪魔との契約の代償として地獄に連れて行かれるBerchtholdにかわり、妻のAgnesが死神によって地獄に連れ去られる。しかし、Weber家の守護聖人テオドロスの手によってアグネスは助け出される。
       リーの結婚感、男女の役割分担についての考えなどが窺える作品。

  • 'Winthrop's Adventure'
    •  For Maurice収録の幻想短編。音楽が人に与える影響をテーマとしており、同様のテーマの「悪魔の歌声」との関連を考察する研究が待たれる。
       序文の中で、ヴァーノン・リーは18世紀に活躍したカストラート、ファリネッリの肖像を目にしたことからインスピレーションを得たエピソードを語っているが、この点も「悪魔の歌声」と共通している。
       画家のWinthropは、初めて聴いたはずの歌に激しく動揺し、自身の体験を語る。Winthropは訪れたFa Diesisの宮殿で90年前に殺害された歌手、Ferdinando Rinaldiの肖像画を目にする。そこでWinthropは"The man was apparently singing, or rather about to sing, for the red, well-cut lips were parted; and in his hand―a beautiful plump, white, blue-veined hand, strangely out of keeping with the brown, irregular face―he held an open roll of notes."という印象を受ける。ある夜、WinthropはRinaldiが殺害されたvillaの廃墟を訪れ、そこでRinaldiの亡霊に遭遇し、その歌を耳にする。
       

  • Miss Brown 『ミス・ブラウン』
    •  1884年発表の長編小説。William Blackwoodから出版され、多額の原稿料がリーに払われている。長編の代表作で、研究も比較的進んでいる作品。ヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』(The Portrait of a Lady)の影響がうかがえる。
       ヒロインのアン・ブラウンは人生経験の少ない無垢な存在として登場する。詩人にして画家のウォルター・ハムリン(ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティその他の唯美主義者がモデルと思われる)はそんなアンを支援し、学校に通わせるなどして自分の妻にふさわしい女性になるよう教育を施す。すなわち、ピグマリオン伝説の一種と言える物語である。はじめは盲目的にハムリンに魅かれていたアンは、ハムリンが与えてくれる教育を通して成長し、やがてハムリンのエゴイスティックな性格に気付くようになる。(アンの精神的成長は色によっても象徴されている。前半では、アンのイノセンスを象徴する「白さ」が強調されているが、徐々に経年を積み、「ブラウン」(茶色)になっていく物語。)それでもアンはハムリンとの結婚を決意する。
       Vineta Colby他の研究者が、アン・ブラウンは「ヴァイオレット・パジェットがなりたかったヴァ―ノン・リー」であったと主張している。

      Jane Morris

       リーはこの小説をヘンリー・ジェイムズに捧げたが、ジェイムズに酷評されたことから、二人の関係は疎遠になった。この小説は実話小説(roman a clef)のようにとられ、ジェイムズ以外にもモデルにされたと考えられる人物がおり(ウォルター・ハムリンのモデルとして、ウォルター・ペイターワイルドの名前があがったし、アン・ブラウンのモデルとしてジェイン・モリスの名前があがった。ジェインはウィリアム・モリスの妻であったが、ロセッティと不倫関係にあった。モリス夫妻はリーを許すことはなかった)、ヴァーノン・リーにとっては敵をつくってしまうという結果になった。
       なお、Laurel Brakeは『ミス・ブラウン』とヘンリー・ジェイムズThe Portrait of a Ladyを比較し、"the second half of Miss Brown"を"an alternative 'Portrait of a Lady'”であるとしている。
       1885年の書簡ではこの小説について次のように書いている。"Miss Brown has been very favourably received at Boston if I may judge by letters. And I hope that the paper on me in the current Atlantic Monthly may draw farther attention to it." (Complete Letters Volume 2, P.24.)

  • 'Lady Tal'
    •  1892年発表の短編集Vanitas: Polite Stories収録の短編。小説家を志すLady Atalanta Walkenshaw, 通称Lady Tal(母親違いの病弱な兄がいる点など、ヴァーノン・リー自身と共通する点が多い。ただし、Lady Talは未亡人で、その点はリーと大きく異なる。なお、ピーター・ガンはLady Talのoriginalをリーの友人であったMrs. Alice Callanderであった、としている。)は、大小説家Jervase Marion(ヘンリー・ジェイムズがモデル)に憧れている。Lady TalはMarionに助言を求めながらChristinaという長編小説を書き上げ、Marionに献呈しようとするが(ヴァーノン・リーも処女長編Miss Brownヘンリー・ジェイムズに献呈した)Marionは評価しない。逆に、Marionの方もLady Talの心理をあたかも解剖学者のような眼差しで探り、小説の題材にしていく。
       男性的容貌のLady Tal、そして彼女の書く小説は男性に抑圧された女性の物語。このあたりにもヴァーノン・リー自身との共通点が見いだせ、興味深い。
       ヴァーノン・リーとヘンリー・ジェイムズの間の、Miss Brownをめぐるエピソードを小説化した作品で、Vineta Colbyはキャラクターといい、プロットといい、ヘンリー・ジェイムズ的であると指摘している。この作品も一因となって、リーとジェイムズは疎遠になった。この作品を読むのに苦痛を感じたジェイムズは、リーのことを"irrepressible Vernon Lee"と表現している。Christa Zornは"With 'Lady Tal" Lee fell out of favor not because she had failed to write like James, but because she had written all too James-like."と書いている。Sondeep Kandolaは"Lady Tal's novel also functions as a device which allows Lee to participate in a tropical fin-de-siècle debate about the kinds of pressures that artists faced from the literary marketplace."、あるいは"In 'Lady Tal,' the 'artist' and 'tradesmen' debate is turned into a comic farce as Lee's two protagonists play out the Darwinian struggle between the artist (Marion) and the tradesmen (Lady Tal) as slapstick."と書いている。(Kandola, Vernon Lee, P.52.)

  • 'The Worldly Woman'
    •  1892年発表のVitanis: Polite Stories収録の短編。'Lady Tal'同様、ヘンリー・ジェイムズ風の作品と言える。なかでも長編Princess Casamassimaを強く意識している。プロットも'Lady Tal'とよく似ており、ヒロインと男性の陶芸家Leonardo Greenleafの交流を軸にしている。男性の所有欲や女性の結婚の問題がテーマ。ヒロインのVal Floddenは経済的理由からコレクションの陶器を売り払うことになり、Greenleafに助言を求める。やがて、二人の女性観、結婚観の違いが鮮明になってくるが、数年後再会した時にValは結婚し、子どもまで産んでいた。Valは結婚について次のように語る。"a woman's one business in life is to marry, to make a good marriage, to marry into this set, a man like my husband....I had made up my mind that although this was undoubtedly the natural and virtuous course, I would not follow it, that I would rather earn my living or starve."
       マリオ・プラーツによれば、ヴァ―ノン・リーはものを所有することに否定的で、同時代のコレクション熱を冷ややかに見ていたらしいが、芸術作品の所有の是非というテーマで読むことも可能であると思われる。
       なお、Vineta ColbyはヒロインのValのモデルはヴァーノン・リーの友人Kit-Anstruther-Thomsonであると 指摘している。

  • 'The Legend of Madame Krasinska'「マダム・クラシンスカの伝説」
    •  1892年発表の"Vanitas: Polite Stories"収録の短編。同短編集に収められた'Lady Tal'や'The Worldly Woman'とは異なり、こちらは幻想短編。
       自殺した女を描いたスケッチを目にしたマダム・クラシンスカが、女の霊に憑依される物語で、絵が重要な役割を果たすという設定はいかにもリーらしい。しかし、他のリーの短編では過去からゴーストがやってくるのに対し、この作品のゴーストは同時代の人間のゴーストであり、その意味でかなりの異色作と言える。ある意味ではリーの短編中もっとも怪談らしい怪談と言えるかもしれない。

  • 'The Featureless Wisdom'「顔のない女神」
    •  短編集Pope Jacynth収録。「人形」と並んでリーとしては短い作品。
       ソクラテスの師とも言われるディオティマが彫刻家フェイディアスに知恵の女神アテナの像の製作を依頼する物語。なかなかディオティマに気に入られる像を作れないフェィディアスは、顔のない女神像をつくる。芸術、美は表面的なものであって、内面(この場合は知恵)を反映することはできない(すなわち美と知恵は両立しない)というリーの考えがうかがえる作品。リーのエッセイ'A Child in the Vatican'あたりと読み合わせると面白い。管理人による翻訳はこちら

  • The Handling of Words and Other Studies in Literary Psychology 『ことばの美学』
    • 『ことばの美学』

       1906年発表のエッセイ集。ピーター・ガンはこの作品をリーの作品中"a most valuable book"と呼んでいる。
       「文学的構成について」「文体について」「小説の美学」「〈作家〉の本質」「文学的心理学の研究」「ことばの用法」「浸透性の想像力」「〈書くことは〉教えられるか」「〈作家〉の学ぶこと」「結論」からなる。心理学的に文学・文体を考察した本で、心理学に強い関心を抱いたヴァーノン・リーらしい著作。取り上げられる作家はド・クウィンシ―、スティーブンソン、ラスキン、キップリングら。
       「文学的構成について」ではロバート・ルイス・スティーヴンスンジョージ・エリオットらの小説の構成を論じている。リーは小説家を「総合的な小説家」と「分析的な小説家」、「感覚的な小説家」と「理性的な小説家」の2つのカテゴリーに分類している。「総合的な小説家」とは、自分がつくりだした人物を生きるような小説家で、視点(point of view)を自在に変えることができる。この種の小説家にトルストイがいる。「分析的な小説家」は自分のつくりだす人物を綿密に調べるような小説家で、自分自身のみの視点から人物を眺める。この種の小説家にジョージ・エリオットバルザックフローベール、ゾラなどがいる。
       「文体について」では「書くこと」は情緒の芸術でるとし、文体を「作者の観念の質と、その観念が作者に湧き上がってくるときの癖のこと」としている。そして、「作者にとって表現の素材であることばは読者の心の内部にすでに存在している観念をあらわす記号にすぎない、実は読者の精神は作者のパレットである」と述べている。その他、形容詞の用法について述べている。
       「作家の本質」では、「すべての芸術というものは、わたしたち人間が、経験の動物、回想の動物であることに依存している」とし、文学における記憶の重要性を説く。さらに、言葉の芸術だけが、人間の道徳的、知的生活を拡大する能力を有する、としている。偉大な作家は偉大な人生哲学者であり、それゆえにダンテシェイクスピアゲーテブラウニングら優れた文学者は優れた人生哲学者でもある。逆に、芸術至上主義者(ボードレールゴーティエスウィンバーンダヌンツィオら)は人生哲学を無視し、その報いとして彼らの詩は不毛である、としている。
       ヴァーノン・リーはドイツ心理学から「感情移入」(empathy)の概念をイギリスに導入し、芸術作品の鑑賞における感情移入の重要性を説いている。その感情移入のメカニズムを文学作品にも当てはめたのが本書。すなわち、文学作品によって喚起された感情を、文学作品に投影するというインタラクティブな作業が、文学作品の鑑賞時には行われる。なお、Oxford English Dictionaryの"empathy"の項目の最初の用例はヴァーノン・リ―の作品からとられている。

  • The Satan the Waster: A Philosophic War Trilogy
    • (Satan the Waster

       1920年発表。第一次世界大戦を目にしたヴァーノン・リーの戦争観が示される作品。'Introduction', 'PartⅠ Prologue in Hell', 'PartⅡ The Ballet of the Nations', 'PartⅢ Epilogue'、’Notes on the Prologue','Notes on the Ballet of the Nations'からなる。本編よりもNotesの方が長い。上演を意図した劇というよりも、リーの思想を表現するための作品といってよい。
       'Introduction'で、'A European war was going on which, from my point of view, was all about nothing at all; gigantically cruel, but at the same time needless and senseless like some ghastly "Grand Guignol" performance. It could, as it seemed to me, have been planned and staged only by the legendary Power of Evil."と述べ、戦争の愚かさを訴えている。
       ’Prologue’の舞台は地獄。SatanとThe Museの対話。'Prologue'へのNotesでは、Satanを自身のspokesmanに選んだことの理由を語り、"Satan, my dear brethren, dwelleth within the innermost heart (or shall we say belly or brain?) of every nation"と述べている。リーによれば、Satanは"infliction of useless loss and pain"を意味している。逆に、なぜGodに言及しないのかについても語っている。
       産業化と人間、そして戦争の関係については、次のような記述がある。"As was already reiterated by Ruskin and Morris, the streets and factories of our cities, and the desecrated landscape surrounding them, are an outward and visible sign of an inner and spiritual disgrace. Not a symbol merely, but a specimen and a proof, of the paralysis of will and judgment now exhibiting its acute and paroxysmal phase in the material and mental happenings of this war."
       'Notes to the Ballet'で'hatred','heroism','intolerance', 'indignation'などの抽象概念について語っている。
       リーは他の作品においても"passion"に流されることを否定的に描いているが、この作品でも"Evil passions have inevitably awakened in war"と書いている。さらに、"Similarly do passion's optics blind us to Reality's essential characteristic: Reality's continual, inevitable change."とも書いている。そして、passionを愛国主義(patriotism)と結びつけ、"Patriotism is not a passion, but a combination of all the Passions"としている。リー自身は"I have no Patriotism, and might have added, am just as happy without it"と語っている。
       利他主義(altruism)については"Altruism not implying the sacrifice of our own wishes (which oftenest sacrifice our less dominant to our more dominant one among themselves) for the alleged benefit of an altar; but altruismwhich takes into consideration that nature, apparent or conceivable, of that altar, and the feelings he is likely to have as well as, and perhaps in opposition to, the feelings we have about him. To all such Altruism as this war puts a stop; because war implies struggle, and struggle passion, and passion delusion."と書いている。
       リーの伝記作者、ピーター・ガンはこの劇について"Satan the Waster is one of the most cogent, moving, powerful denunciations of war ever written"と賞賛している。(Peter Gunn, Vernon Lee, P.208.)
       この劇は称賛者と同時に批判者も生んだ。Time Literary Supplement (24 June 1920)は、この劇を"It is merely an expression of her (Lee's) opinion in a very artificial form...an unconvincing fable"と評した。(Colby, Vernon Lee, P.306.)
       なお、Vineta Colbyは"Lee's anti-war works anticipate the avant-garde modernist strategies of Dada and expressionist theatre"と述べ、リーの反戦文学の後世への影響を指摘している。

  • Music and Its Lovers-An Empirical Study of Emotional and Imaginative Responses to Music
    •  1932年発表。PartⅠ "Listeners" and "Hearers", PartⅡ Emotional Responses, PartⅢ Imaginative Responses, PartⅣ Has Music a "Meaning"?, PartⅤ The Composer's Phenomenon, PartⅥ How Music Comes into Lives, PartⅦ "De Gustibus..., PartⅧ "Beyond Good and Evilからなる。音楽を聴くという行為を心理学に解明しようとした著。 音楽を聴くと態度を'listening'と'hearing'に大別して論じている。それぞれについて次のように述べている。"there are two sorts of musical attention: the active and steadily absorbed, intermittences of which are recognised as such; and, on the other hand, the fluctuating kind, which is not aware of fluctuations because they are habitual."  また、音楽によって呼び起される記憶や感情を「ゴースト」と呼んでいることから、彼女のゴースト・ストーリーを読み解く上でも手がかりになりうる。例えば、次のような一節がある。"music and human emotions have a common Ancestor: an ancestor who is also, let me add, a descendant of many other common ancestors, namely what Sir H.Head has taught me to call a Schema, which is Greek and German for ghost or spectre; and once more, let me repeat, is the infinitive of a verb without present, past or future, without an "I" or a "we" or an "it" or a "they". この一節からも、ヴァーノン・リーの「感情移入」の理論が音楽と密接に関連していることがわかる。また、リーの心理学はドイツ心理学を継承したもので、具体的にはテオドール・リップスの心理学の強い影響下にある。
       ヴァーノン・リーにとって、音楽は過去への回帰、というよりもむしろ過去と現在を結びつける、時間を超越したものだった。彼女は過去について次のように書いている。"The solemn and serene Past, not as it ever really was (for when it was, it was not the Past!), has delivered us from the thin, stinging Present, and united us to our neighbors who are, in truth, our own potentialities regrouped in our mind."

  • 'The Economic Parasitism of Women'
    • Women and Economics

       1908年発表のエッセイ集The Gospels of Anarchy収録のエッセイ。フェミニストとしてのヴァーノン・リーを考える際、極めて重要なエッセイ。Charlotte Perkins (Stetson) Gilman(1860~1935)のWomen and Economicsを受けて書かれたエッセイ。ヴァーノン・リーは女性が経済的に男性に依存し、家庭に押し込められている現状に異を唱えている。家庭での女性の仕事とされる子育てはコミュニティで行うべきだと主張。こうした女性としての役割が女性の可能性を制限している。女性は過度に女性であることを求められていて(Women are oversexed)、夫に対しての妻か、子どもに対しての母親としての役割しか与えられていない。この状況を打破するために、社会が変わり、法律も変えなければならない。自立した女性の登場とともに、女性化した(effeminate)男性も登場し、両性の境界が曖昧になる。ヴァーノン・リーは、こうした男女差が希薄になった、古代ギリシアのような社会の到来を願っている。

  • The Beautiful: An Introduction to Psychological Aesthetics
    • The Beautiful

       1913年発表の美学エッセイ。章立ては以下の通り。'Preface and Apology,' 'The Adjective "Beautiful," 'Contemplative Satisfaction,' 'Aspects Versus Things,' 'Sensations,' 'Perception of Relations,' 'Elements of Shape,' 'Facility and Difficulty of Grasping,' 'Subject and Object,' 'Empathy,' 'The Movements of Lines,' 'The Character of Shapes,' 'From the Shape to the Thing,' 'From the Thing to the Shape,' 'The Aims of Art,' 'Attention to Shapes,' 'Information about Things,' 'Co-operation of Things & Shapes,' 'Aesthetic Responsiveness,' 'The Storage of Emotion,' 'Aesthetic Irradiation,' 'Conclusion (Evolution)'.
       冒頭で'beautiful'という語を、"an attitude of contemplative satisfaction"を暗示するものと定義し、'good'という語との比較を行っている。そして、"What we contemplate as beautiful is an Aspect of a Thing, but never a Thing itself."と述べ、本質的にbeautifulなものなどなく、見かたの問題だとしている。
       さらに、人は色と音に関してはpassiveであるとして、色や音が使い方によっては人のanimal spiritsを呼び覚ます力があると警告している。こうした発言は、ヴァーノン・リーの色彩に関する理論や、ワーグナー音楽に対する反感などを考える際、興味深い。("colours, taken singly and apart from their juxtaposition, should possess so extraordinary a power over what used to be called our animal spirits, and through them over our minds. P.22.)
       ヴァーノン・リーの美学について考える際のキーワード、'shape'については次のような記述がある。"visible and audible Shape is composed of alternations between active, that is moving, measuring, referring, comparing, attention; and passive, that is comparatively sluggish reception of mere sensation."
       線の認識(perception of lines)については、現在線を見つつも、過去の線の記憶を頼りに未来の線も予想しているのであり、そうした過去―現在―未来の相互関係が意味を生みだし、形態(shape)を生み出す、としている。
       それに関連して、記憶(memory)については、"Now memory, paradoxical as it may sound, practically implies expectation: the use of the past, to so speak, is to become that visionary thing we call the future. "と述べている。
       線と音楽の関連については、"patterns of visible lines will possess all the chief dynamic modes which determine the expressiveness of music"と書いている。
       第9章の'Empathy'は、ヴァーノン・リーを理解するうえで極めて重要な章。リーは'The mountain rises'という表現を例にして、empathyの概念を説明している。empathyとは、外部からの現在の情報が、観察者内部の過去の似たような情報を喚起し、それが未来までつながる、という行為である、とする。第14章'The Aims of Art'では、絵画における三次元表現について考察している。16章'Information about Things'では、三次元表現について、それはlocomotion (リーはmotionではなく、locomotionの方が適切な用語だとしている)の表現のためだとし、二次元の絵画表現においては、一つの視点から複数のpartを同時に描くことでlocomotionを達成しようとすると述べている。これらの主張は、20世紀絵画におけるキュビズムの考えとも似ており、興味深い。18章'Aesthetic Responsiveness'では芸術は鑑賞者の協力があって初めて成立すると説く。すなわち、"The spontaneous collaboration of the beholder is especially indispensable for Aesthetic Empathy."である。

  • Beauty and Ugliness: And Other Studies in Psychological Aesthetics
    • Beauty and Ugliness

       1911年発表の美術エッセイ集。友人のC. Anstruther-Thomsonとの共著。'Anthropomorphic Aesthetics','Aesthetic Empathy and Its Organic Accompaniments','The Central Problem of Aesthetics','Beauty and Ugliness','Aesthetic Responsiveness, Its Variations and Accompaniments','Conclusion'からなる。美の問題を心理学的に考察した書で、empathyがキーワードになる。この作品が、バーナード・ベレンソンとの裁判沙汰の原因となる。
       'Anthropomorphic Aesthetics'ではドイツの心理学者Groosの理論(the aesthetic condition is, on the contrary, the outcome of nearly all healthfully constant and repeated acts attention)を支持し、シラーの美学を批判する。そして、'And the quality answering to this aesthetic desire is what we call Beauty; the quality which it avoids or diminishes is Ugliness.'と述べている。

  • Ariadne in Mantua: A Romance in Five Acts
    • Ariadne in Mantua

       五幕ものの散文詩劇。病気のファーディナンド(Duke of Mantua)を歌の力で癒すディエゴ(男装したマグダレン)が、最後には湖に飛び込んで死ぬ物語。ヴァーノン・リーは1896年と1898年の二回にわたってマンチュアを訪れている。そこで3つの美しい湖を目にし、ゴンザーガ家のPalazzo Ducaleを目にし、大いにインスパイアされた。ストーリーはシェイクスピアの『十二夜』の影響が大。男装したディエゴはヴァイオラの影響だろう。また、歌で病人を癒すという話は、『悪魔の歌声』同様、実在のカストラート、ファリネッリのエピソードにヒントを得たと考えられる。かなわぬ恋に悩むヒロインの姿とヴァーノン・リー自身を重ねる読みが行われている。ヴァーノン・リーのジェンダー観、音楽観などを考える際、重要な作品。ピーター・ガンはディエゴ(マグダレン)とファーディナンドのいずれもが中性的な存在であり、二人の関係はsexual bondを否定するものというよりもむしろ超越するものである、としている。(Peter Gunn, Vernon Lee, P.178.)
       上演を目的としているというよりもむしろ読まれるために書かれたこの劇も1916年5月Countess LyttonによってGaiety Theatreにおいて上演されている。1934年にはフィレンツェのアカデーミア・デイ・フィデンティで上演され、ヴァーノン・リーも観劇している。
       なお、旅行記Genius Lociの'The Lakes of Mantua'では、マントヴァを訪れたときの印象を語っている。"It was the Lakes, the deliciousness of water and sedge seen from the railway on a blazing June day, that made me stop at Mantua for the first time; and the thought of them that drew me back to Mantua this summer. They surround the city on three sides, being formed by the Mincio on its way from Lake Garda to the Po, shallow lakes split on the great Lombard plain."(P.163.)
       なお、Casa Ciniの図書館にリーに自筆原稿が所蔵されている。

      マントヴァ
      Ariadne by John Waterhouse

English

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional